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「18年目の報告書」
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18年目の報告書
国政への挑戦
河本敏夫先生との出会い

 毎日新聞社を退社し、青森県議会議員に初当選をさせていただいたのは、昭和五十年四月、二十八歳の時のことでした。昭和五十四年に再選をさせていただき、県議会議員としての勝手がわかりはじめました頃、落選中でした熊谷義雄先生が突如として引退を表明されました。折しも国会ではロッキード事件の余風によって与野党勢力が伯仲し、野党が提出した内閣不信任決議案の採決に一部の自民党議員が欠席、可決される直前でした。
 熊谷先生の「遊説隊長」を務めさせていただいていたこともあり、熊谷後援会は私を後継者に選んでくださいました。三十三歳の時のことです。熊谷先生が河本派に所属していたため、国政への挑戦を考えておりました私は、当然河本先生をはじめ、同派の議員へご挨拶に参上いたしました。「政治哲学が一致しなければ無派閥もやむを得ない」と大変生意気な決心をしての上京でした。
 「笑わん殿下」の異名をとりました河本先生は、愛想を振りまくこともなく、淡々とみずからが目指す政治を説かれました。時に身振り手振りを交え、経世済民の志、信頼の政治、そして堂々たる経綸を披露された姿は、あたかも昨日のことのように思い出されます。そして最後に、「大島君、選挙とは投票箱の蓋が閉まるまでだよ」とおっしゃって力強い握手を交わさせていただきました。私の河本派としての出発です。
 とかく派閥政治は批判を浴びやすいですが、真に政治哲学に共鳴し、尊敬する「オヤジ」を総理総裁の座に就けようと努力することは、決して悪いことだとは思いません。国益に反しているとも思いません。私にとって河本先生こそ「オヤジ」でしたし、これからも「オヤジ」であり続けます。

初めての総選挙

 昭和五十五年五月十六日のことです。内閣不信任案が可決されました。それを受け、大平内閣が衆議院を解散したのです。投票日は六月二十二日でした。そのときに国政への挑戦を決意したのであります。しかし、選挙態勢ができ上がっていたわけではありません。熊谷先生の後援会はありましたが、それは熊谷先生を支援する組織であって、私の組織ではありませんでした。ですから、私の最初の仕事は、自分の目指す政治、とくに信頼される政治を一人でも多くの方に説き、ご理解とご支援を賜ることでした。
 県議会議員だった者が、青森県の半分を占める当時の衆議院第一区で、名前と政策を訴えることは決して容易なことではありませんでした。県議会議員としてでさえ、まだまだ認知されておらず、県議会議長を務めました父・勇太郎の方が知名度の高い地域もあったほどです。もっとも、父は私の学生時代の選挙で落選し、私が県議会議員選挙に出馬する直前に他界しております。いずれにしましても、時間との闘いをこれほど痛感いたしましたことは、初めてだったような気がします。
 中選挙区制の下における青森一区は定数四名、一議席は当時の社会党が「指定席」としておりましたので、事実上、四名の自民党候補で三議席を争う選挙戦が展開されました。結果は五四二二票差の次点。正直に申し上げますと、悔しさの反面、短期間でこれだけ多くの方々のご支持を得られた喜びも感じました。敗れはいたしましたが、満足感と感謝の思いで胸がいっぱいになり、不思議と心の中で「万歳」を叫んだことを鮮明に覚えておリます。
 投票日は一つの選挙戦の終わりであり、また、私自身にとりまして、新たな戦いの始まりの日にもなりました。

初当選の感激

 初出馬で六万三九五八票をいただきましたことは、私にとり、大きな支えでありました。しかし、以後の浪人生活は決して生易しいものではありませんでした。たとえ次点でありましても、次回の総選挙で当選できる保証は何一つありませんでした。三年半の浪人生活でとてつもない精神的重圧を受けたようにも思えます。軽度でしたが、顔面神経痛にもなりました。逆に、そうした経験により、精神的にも肉体的にも逞しくなれたのではないかと思っております。
 不安と焦燥を拭いさる唯一の方法は、やはり一人でも多くの方にお会いし、ご理解とご支援をお願いすることでした。たとえどのような選挙制度になりましても、これが選挙の基本であると思います。そしてその過程で、触れる温もり、拝聴する声こそが政治の原点であると思います。その気持ちは、現在も些かも変わることはありません。
昭和五十八年十一月、待ちに待った衆議院の解散が行われました。長い浪人生活でした。できるだけの準備を整えての選挙戦でした。「これで駄目ならば諦めよう」と決意しての立候補でした。私にとりまして、その総選挙はまさに背水の陣だったのです。
 そして大変多くの方々の力強いご支援により、十二月十八日に行われました総選挙でトップ当選を果たすことができました。信じることの、そして報われることの喜びを全身で感じた瞬間です。三十七歳、国会議員としての第一歩となった日でもあります。

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