MORRYロゴ 大島理森 創造立国
トップページへ
政策提言
活動報告
写真で見る活動報告
「18年目の報告書」
プロフィール
事務所からのお知らせ/後援会お申込み
リンク
サイトマップ
18年目の報告書
環境庁長官時代
政治改革の実現

 平成五年七月の衆議院総選挙で自民党は過半数を割り、自民党は初めて野党に転落しました。すでに解散前に自民党は分裂しておりましたが、わが国は実質的に初めての政権交代を経験したのです。「ガラス細工の連立」と揶揄されながらも誕生しました細川内閣は、当初、極めて高い支持を得ました。自民党の自浄努力の不十分さ、そして国民の皆さまに対して約束したことを実行しなかった結果であり、猛省する機会になりました。
 自民党の野党時代、私は副幹事長として、河野洋平総裁、森喜朗幹事長を支える立場にありました。議院内閣制の下では、与党と野党はこれほど異なるのか、ということを痛感した時期でもありました。私どもは「闘う野党」を標榜しましたが、やはり限界があったことは否めません。今後、健全な政権交代のシステムを構築していくためには、現在の与野党を問わず、政党の在り方をいま一度考え直す必要があるように思えます。
 苦しい野党時代でしたが、一つの大きな結果も生まれました。それは、衆議院の選挙制度改革を柱とします政治改革が実現したことです。紆余曲折を経ましたが、当時の細川首相と河野総裁との劇的なトップ会談で合意され、前進を遂げましたことは、官房副長官時代から政治改革に関わってまいりました者として、その責任をまっとうしたという思いであります。

<自社さ>政権の誕生

 細川内閣にしましても、その後の羽田内閣にしましても、長続きはしませんでした。とくに細川内閣は発足当初の高い支持率とは裏腹に、半年後には低支持率に苦しむことになったのです。細川氏自身の問題もありましたが、やはり「反自民」の一点だけで連立が組まれたことに無理があったのです。加えまして、当時の連立政権内の政策決定の方法にも問題があったように思われます。また、政治運営の未熟さもありました。
 羽田内閣の総辞職を受けまして、自民党は当時の社会党、そして新党さきがけと連立を組み、村山内閣を樹立しました。この連立政権に対しましても、さまざまな批判があったことは承知しております。率直に申し上げて政治理念や政策の違いもありました。
 しかし、当時も、そして現在も、政治に何よりも求められますのは安定です。一党が衆参両院で過半数の議席を獲得できない以上、他の政党と連立を組み、互いの長所を生かし、政策を実行していくことを否定することはできません。価値観が多様化しております今日、連立による利点も少なくはありません。その責任を選挙で問われることこそ、民主主義の姿であると考えております。同時に、この十年間の連立の時代を国民の皆さまやマスコミはどう評価し、今後どのような選択をされていくのかも問われているのだと思います。

環境庁長官として初入閣

 村山改造内閣におきまして、私は国務大臣・環境庁長官を拝命しました。当選四回、初当選から十二年目のことです。村山首相に官邸に呼ばれました際、「とくに水俣病問題の解決をよろしくお願いしたい」との指示を受けました。初入閣の上、不幸な歴史に終止符を打つ使命により、私はまさに薄氷を踏む思いで環境庁に向かったのです。
 政府が水俣病を公害と認定しましたのは、昭和四十三年のことです。その後、行政の責任を認める判決が相次いで出されましたが、いわゆる未認定患者の問題もあり、話し合いは難航を極めました。それまでの経緯をつぶさに調べ、関係者からの率直な意見を開くにつれ、「何とか和解を実現したい」との思いがますます強くなりました。
 水俣病問題で私自身が決めました原則は、これまでの見方ですとか、固定観念にとらわれないことでした。和解をもたらすためには、国も県も、そして患者の方々にも譲歩を求める必要がありました。歴史の積み重ねは尊重しなければなりませんが、共生の観点から新しい歴史の一ページを開くためには、関係者の妥協と協力が不可欠だったのです。
 私はなるべく多くの方々に直接お目にかかり、率直なご意見を拝聴させていただきました。熊本県や水俣市の方々はもとより、患者の方々にも積極的にお会いしました。関係者と非公式な会談も重ねました。それまで「ニセ患者」と痛罵されてきました方々に、「あなた方は決してニセ患者ではありません」と申し上げますと、涙を浮かべてくださりました。
 未認定患者の救済をはじめとします水俣病問題は、この後、与党合意を経て政治決着したのです。水俣病の発見から四十年目のことでした。環境庁長官としての在職期間は半年足らずでしたが、この間題の解決に全力で取り組めましたことに、関係者の皆さまに心より感謝申し上げたいと思います。また、村山内閣の明確な方針があったればこそ、解決にこぎ着けることができましたことも申し上げておきたいと思います。こうした経験を生かし、二十一世紀を「環境の時代」「環境政策の世紀」にするため、引き続き全力で取り組みますことをお誓い申し上げます。
 ちなみに、平成八年十月の衆議院総選挙は小選挙区制の下における初の選挙であり、私にとって極めて厳しい選挙となりました。その選挙で水俣市の市長がはるばる八戸までお越しになり、熱い応援演説をしてくださいましたことに私も、そして私の支持者の方々も強く感激いたしました。

Copyright(C)2003 OOSHIMA TADAMORI OFFICE. All Rights Reserved.