大島理森が語る

2008年10月アーカイブ

2008年10月30日

 皆さん、こんにちは。
 麻生総理は、今夕、「新たな経済対策」を発表いたしました。
 総理は、この危機の波に立ち向かう国民の皆様の生活を守る「生活安全保障」を実行せねばと決意を述べられました。全力で取り組まなければなりません。

2008年10月28日

 皆さん、こんにちは。
 毎朝、自民党国会対策の会議をやっています。副委員長の議員は必ず出席しなければなりません。解散「風」が吹いていてもです。
 今日、私に質問がありました。「刀を収めて、鍬を持った方がよいのですか?」と。私は答えました。「右手に鍬、左手に剣」と。

2008年10月27日

 皆さん、こんにちは。
 今週は解散について総理の判断が示される週となるでしょう。それにしても、民主党の対応は、解散しなければテロ特措法、金融機能強化法等、徹底抗戦するやにいわれていますが、やはり政策より政局しかないのでしょうか。

2008年10月24日

 皆さん、こんにちは。
 今日、24日、改めて党首討論を申し込みましたが、民主党からOKの返事はありません。麻生総理対小沢代表の議論を国民の皆様は期待していると思うのです。なぜ、民主党は避けるのでしょうか。

2008年10月23日

 皆さん、こんにちは。
 明日24日、日銀副総裁人事が同意される予定になっております。今日は、衆議院は静かです。嵐の前の静けさなのでしょうか。総理は今夜から北京でのASEM会合に向かいます。各国首脳と世界経済について話し合われると思います。その成果を見守りたいと思います。

2008年10月20日

 今週は、テロ特措法、日銀副総裁人事等について、成立、同意への見通しを創りたい重要な一週間です。
 さらに、地域経済や中小企業を支援するための「金融機能強化法」を提出する予定です。がんばります。

2008年10月16日

 生活不安、経済不安に対処するための補正予算が決まりました。国費1兆8千億円、事業規模11兆5千億円です。次は日銀副総裁を決め、金融機能強化法つくり、さらなる経済対策を麻生政治は進めます。

2008年10月15日

 皆さん、こんにちは。
 私たちは、民主党に党首討論を申し込んでいます。麻生総理対小沢代表の討論です。経済対策、福祉、テロ対策、財源問題等について、皆様の前で討論すべきと思っています。残念ながら今の時点で、民主党から了解の返事がありません。残念です。

2008年10月14日

 皆さん、こんにちは。
 米国発の金融不安にG7は連帯して立ち向かうことになりました。麻生内閣は、経済の危機を突破すべく全力を尽くします。
 スーザン・ストレンジャー(英ウォーリック大学教授)はこのように述べてます。「(カジノ資本主義社会では)将来何が起きるかは全くの運によって左右されるようになり、熟練や努力、創意、決断、勤勉がだんだん評価されなくなる。そうなると(中略)自由な民主社会が最終的に依拠している倫理的価値への敬意が薄らぐ」。この諫言を今真剣に受けとめる時です。

2008年10月9日

 10月9日、与党の幹事長・政調会長・国対委員長で協議した結果、国際社会から高く評価されており、我が国が果たし得る国際貢献である「テロ対策補給支援特措法」を、今国会において必ず成立させることで合意いたしました。
 また昨日、中小企業向けの融資や燃油高騰に関する緊急経済対策を盛り込んだ補正予算が、圧倒的多数で衆議院を通過いたしました。来週からは論戦の場が参議院に移りますが、現在の経済状況にかんがみ、国家の安定と国民生活を守るべく、一日も早い成立に向けて全力を尽くしてまいります。

 謝      辞


 
 
 このたび在職二十五年の表彰を賜りまして、万感胸に迫るものがございます。この栄誉はひとえに、私を育てていただきました郷里の皆様、また政界の先輩や同僚のご支援とご指導、並びに日本国のご厚恩のしからしめるところであり、あわせて私の両親、家族、親族、友人、事務所の諸君に対しましても、心から感謝を申し上げる次第です。

 
 青森県議会議員に選出されて五年目、熊谷義雄先生をはじめ後援者の激励により、私は国政への出馬を決意いたしました。初めて河本敏夫先生の門をたたきました折、「笑わん殿下」の異名をとりました河本先生は、愛想を振りまくことなく淡々とみずからが目指す政治を説かれました。時に身振り手振りを交え、経世済民の志、信頼の政治、そして堂々たる経綸を披露された姿が、あたかも昨日のことのように思い出されます。

 
 昭和五十八年に初当選を果たし、生涯忘れ得ぬ感激とともに胸に付けさせていただいた議員バッジは、実に重く感じました。この小さな議員バッジに、私を支えてくださる多くの方々の大きな思いと願いが託されていることを考えますと、今この時にあっても国政に携わる責任の重さに身が引き締まる思いです。


 平成二年、政治改革が声高に叫ばれ、日米構造協議、国際貢献の在り方が問われるなか、私は海部内閣で官房副長官に任命されました。特に湾岸危機は、戦後の日本外交、世界における我が国の役割を考え直す重要な契機となりました。私は「天命に身を任せ、人事を尽くす」ことを信条にし、首相官邸で政策決定過程の中枢に触れながら、故郷と日本、そして世界を同一座標で捉えることの大切さを学びました。


 また顧みて、幾度か大臣の職責を拝命し、日本国の将来や国民生活のために、微力ながらも献身できましたことは望外の喜びであります。
 村山内閣の環境庁長官として、私は水俣病問題を環境政策の新たなる第一歩と考え、あらゆる試練を厭わず、当時の政治的解決にこぎつけることができました。
 森内閣の文部大臣兼科学技術庁長官として、教育は国家の基礎を作り、科学技術は国民の夢を作るとの信念のもと、教育改革や新科学技術計画をしっかりと軌道に乗せることができました。
 小泉内閣における農林水産大臣として、難航するWTO交渉に正面から向き合い、食の安全・安心対策、またコメ政策にも一定の道筋をつけることができました。


 さらに、党にあっては、与党教育再生に関する検討会座長として、六十年振りの大改革となる「改正教育基本法」をとりまとめたことや、五つの内閣の国会対策委員長としてひたすらに汗をかいてまいりましたことが思い出されます。本院にあっては、予算委員長として国家や予算を巡る幅広い論議を辛抱強く取り仕切り、また議院運営委員長在職中は円満な議会運営に誠心誠意努め、議長を補佐してまいりました。振り返ると、私の国会議員としてのキャリアは、与野党が激しい対立と妥協を繰り返す議会によって鍛えられ、培われたような気がいたします。


 立法府たる国会は、常に国民の側に立って国論を導き、結論を出し、ときには警鐘を鳴らすべき存在です。健全な議会政治を目指し、私は政府委員制度を廃止して政治家同士が骨太の政策論争を交わせるなど「国会審議活性化法」をとりまとめ、帝国議会以来となる国会改革の基礎を整えました。しかし残念ながら、当初の理念は徹底されておりません。
明治以降、わが国の進路、歴史の光と影は、概ねここ立法府における審議を経て生みだされたものであります。いま、いわゆる衆参「ねじれ国会」と言われる状況のなかで、国民の要望に応えるために政治は何をなすべきなのか、我々は与野党の立場を越えて立法府の使命を果たすべく、真剣に考えなければならないと強く感じております。


 昨今の混迷する政治、停滞する経済、鬱積する人心を見聞するにつけ、日本国のあるべき姿に対してみずからがどれほど貢献できたのか、率直に申し上げて忸怩たるものがあります。しかし、困難の先に輝ける希望を見出すべく、私はあらゆる経験を糧に、郷土と国民の繁栄や議会の発展に渾身の努力を続けてまいります。ここにあらためて決意を申し述べ、私の謝辞といたします。ありがとうございました。
 

平成二十年十月一日

衆議院議員  大島 理森

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